スーパーの陳列棚の頼れる柱。陳列棚の秩序は私が守る。
どの籠にも、他のいもが自然と集まるいもが一つある。大きさのせいでも、声のせいでもない——ただそこにいるだけで、籠全体が整い始める。班長いもはその存在だ。演じているのではなく、ただそこにいることで、周りが自然と動いていく。その確かさは言葉にならない種類のものだ。
籠に何かが必要なとき——配置の問題、貯蔵の状況、場所の微調整——班長いもはすでに意見を持っている。そばにいると物事がうまくいく、と他のいもたちは気づいている。口にしなくても、感じている。そして班長いもは、すでに次のことを考えている。
新しいいもが来たとき。突然の環境変化があったとき。どこへ転がればいいか誰も分からない瞬間——班長いもの存在が最も輝く。落ち着いてそこにいるだけで、籠全体が安定する。それは小さなことではない。他のいもにとっては、大きな支えになっている。
仕切る習慣が、いつの間にか決める習慣になっていることがある。班長いもは時に、別のいもに配置を任せてみることで得るものがある。うまくいかなくてもいい——すべての場面で同じいもが前に出る必要はないのだから。